学ぶとは、マネることである。

【ラブクラフト】第8回 遺体安置所にユーモアは埋葬されるか(In the Vault)

   

ラブクラフトのオススメ短編を紹介するコーナー、今回は『遺体安置所にて』をご紹介します。ラブクラフトの小説と言えば、おぞましい真実や(文字通り)人智を越えた化け物が登場するのがお約束。しかし、そうではない作品もあるのです。

ラブクラフト短編集7

この『遺体安置所にて』は、そういった類いの作品のうちのひとつ。ちょっとした小咄、あるいはブラックユーモア、それともあるいは落語チック。そんな小気味良い作品です。しかしその根底にあるラブクラフトの世界観は、実は繋がっているのかもしれません。

●執筆者・堂本氏の著作『ラブクラフト短編集7』に収録
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あらすじ

ある墓守が、ちょっとした不注意から洞穴に閉じ込められてしまう。その洞穴は、冬の間に死人となったために雪が解けるまで埋葬できない故人のための遺体安置所だった。何とか脱出の手立てを見つけようとする墓守は、やがて棺桶を使ったある脱出方法を思いつくが——。

物語における様々な要素が絡み合って、最後にちょっとぞくりとする物語。直接的な化け物は出てこないものの、だからこそリアリティがあり、そして『笑い事ではない笑い話』として質が高い小咄になっていると言えます。

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ラブクラフトと恐怖の演出

ラブクラフト作品における本質は、思考することにより、『恐怖の根源』に自分から気付いてしまうことにあると言えるでしょう。ラブクラフト作品の恐怖は、本来、圧倒的な化け物への畏怖から生じるものではありません。それが当たり前に存在すること、そして彼らの気まぐれひとつでこの世界は簡単に破壊されてしまうかもしれないという危うさが恐怖の源泉となっているのです。ちょうど、宇宙人が地球を侵略しに来たならきっと太刀打ちできないであろうように。

その『彼ら』が何処に棲まうものかは様々で、時に宇宙の果て、時間の果て、夢の世界など、あらゆる『人間が不可知』の領域が生息地として語られており、その領域に至ることができるのは狂人だけであるように言われています。

一方この『遺体安置所にて』は、そういった超越的な化け物が出てくる物語ではありません。ともすれば、「全ては偶然だった」で片付けてしまっても良い程度の物語でもあるのです。事実、この物語のオチも、『偶然でしょ』と言ってしまえばそれまでなのかもしれません。

しかし、偶然にしては出来すぎている。そこに何者かの意志が介在しているとしたら? その意志を持ちうる者がそこに居たなら、それは何者足り得るか? 偶然で片付けるにはあまりにも不可解だと思ったその瞬間、この物語はブラックユーモアではなく、ラブクラフト作品特有の『気付きによる恐怖』の物語へと一変してしまうのです。

原文の『遺体安置所にて』

ブラックユーモアというか、ある種のジョークとも取れるこの物語は、最後の一文を読んだときにその意味が分かるかどうかで物語を理解していたかどうかを客観視することができます。それまでに積み上げられてきた情報が黒いユーモアで活かされるそのオチを読んで、『なるほどなぁ』だとか、思わず笑いがこみ上げてきたというようなことなら、物語を理解できたのだと自信を持って良いでしょう。

物語の根幹がそういったブラックユーモアにあるということもあり、物語の構造自体はさほど複雑でもなく、難しい表現や詩的な表現、大袈裟なレトリックなども抑えられています。淡々と淡白に進んでいく物語は、基本的には読みやすい部類に入ると言って良いでしょう。

ただ、あくまでユーモアでもあるので、全てを理解して読んだ上でも、『何が面白いのか分からない』というようなこともあるかもしれません。

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ユーモアと意味のネットワーク、そして……

アメリカの作家であるE. B. ホワイトは、『ユーモアの分析はカエルの解剖のようなものだ。興味を持つものはほとんど居ないし、そのためにカエルは死ぬ』と言っています。その通り、あるユーモアが理解できなかったからといって、そのユーモアを説明しても面白さは得られないのです。今回の『遺体安置所にて』も一種のユーモアがオチになっているので、「それで、何が面白いの?」と感じてしまう人も居るかもしれません。

ユーモアとは渡れない者もいる橋のようなものです。何かが面白いとき、つまりそこにユーモアを感じるとき、その表現は、理解してもらうのに少しだけ受け手の想像力を必要とします。100を言って100が通じるものは純然たるコミュニケーションであり、それはそれで価値のあるものですが、ユーモアではありません。ユーモアとは、100を伝えたいときに、敢えて70で表現を止め、残りの30を相手の想像力によって補わせることによって成立するものです。その30が補われなければ、ユーモアは伝わらず終わってしまいます。

想像力にも様々な種類がありますが、特にユーモアではメタファーが多く用いられる印象です。一見すると関係が無さそうなものに喩えて伝える。受け手がそのふたつの点を自分で繋ぐことができたとき、そのユーモアは理解されるのです。つまり重要なのは、色々なものを関連づけることができる能力であると言っても良いでしょう。

実践的には、数多くのユーモアに触れることで、その意味のネットワークを拡張し続けることも大切になります。普段なら結びつかないものに関連性を見出し、そしてその関連性に意味を見出す。これこそ、ユーモアを理解するために重要なことではないでしょうか。

そして、ラブクラフト的恐怖

ところで、本来であれば結びつかないものに関連性を見出し、そこに意味を発見するというのは、何か聞き覚えのある表現ではないでしょうか。そう実は、これはラブクラフト的恐怖の在り方そのものなのです。本来であれば何でもないこと、例えば関連性がないはずの新聞の小見出しのニュース、そんなことがパズルのピースのように組み合わさってひとつの大きな画を描いていく。それはまさしく、ラブクラフトが体験させようとした恐怖に他なりません。

そう考えると、ラブクラフト的恐怖の根源には、ある種のユーモアが根付いているとも言えるのかもしれません。それを笑って済ませられるうちはただのユーモアですが、もしもそれが笑い話でなくなってしまったら? とんでもないことを笑っていたのだと後悔する日も、そう遠くないはずです。

そして代わりに聞こえてくる、不可知の領域からの笑い声。それが聞こえたとき、あなたは閉じ込められた遺体安置所から正気で脱出できるでしょうか。

●執筆者・堂本氏の著作『ラブクラフト短編集7』に収録
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 - 堂本秋次の書斎