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【シャーロック・ホームズ】ホームズが暗号を解くという珍しいエピソード『踊る人形』(The Adventure of the Dancing Men)

      2019/08/18

シャーロック・ホームズの傑作を紹介するコラム第6回は、『赤毛連盟』にも続いて有名な短編、『踊る人形』をご紹介します。

踊る人形 シャーロックホームズ傑作集

子どもの落書きのように見えるものが実はある危険を伝えていたというこのエピソードは、シャーロック・ホームズの短編の中でもかなり知名度が高いものであると言えるでしょう。その知名度の高さは、この作品を元にして作られた作品がどれだけ多いかということ、そしてこの物語が当時如何に目新しいものとして読まれていたかということを表しています。

多くの人のお気に入りの一冊に数えられることも多い『踊る人形』ですが、ひょっとすると意外なことにシャーロック・ホームズが暗号を解くというエピソードは非常に少ないというのが実際のところです。そんな特別な一編の魅力を見てきましょう。

ちなみにこの『人形』は「にんぎょう」なのか「ひとがた」なのかについてははっきりとした取り決めはありません。原文もDancing menとなっていて、直訳すれば『踊る人』となり、判断が難しいところです。個人的には『にんぎょう』と言うと玩具が思い浮かびますので『ひとがた』の方が良いのかな、という気もしますが、一般には『にんぎょう』と呼ばれることが多いようです。

あらすじ

いつも通り事件を待ちながらお得意の推理をワトソンの日常に絡めて披露していたシャーロック・ホームズのもとにやって来たのは、ヒルトン・キュービットという男性でした。彼は自分の身の回りに起きる奇々怪々な出来事のほか、自分の妻があるものに怯えているのだと言います。それは子どもの落書きのように見える何かで、人間の形を模しているようにも見えました。

ワトソンはこれを見て『子どもの落書きでは』と言いますが、シャーロック・ホームズはこれに特別な意味があることを読み取り、そして知らず知らずのうちに展開されていたある事件に気付くのですが、しかし魔の手はホームズが思っていたよりもずっと早く依頼人に及んでいたのです。

踊る人形あれこれ

他の短編と同じく、全体を見る限りではそれほど難しい語彙や文体はありません。むしろ、原文で読むことには、翻訳で読むのとは異なる良さがあるとも言えるでしょう。その理由については少しだけ物語の核心に触れなければいけないので、以下、一応ネタバレ注意です。

この踊る人形の暗号は換字式暗号であり、特定の文字と特定の記号を対応させている類いの暗号です。もちろん、踊る人形はアルファベットに対応しているので、むしろ原文で読む方が内容が自然に頭に入るということも考えられるのです。翻訳で読もうとすると日本語で読んでいたはずなのに途中で英語の話が出てきてしまう一方、原文で読むとそのズレを感じずに済むという良さがあると言えるでしょう。

原文で物語を読むというのは、作者の文体をそのまま感じられるといったこと、そしてもちろん勉強になるといったこと以外にも、よりありのまま、その言語で書かれた作品に触れられるというメリットがあります。踊る人形以外にも、例えば英語だからこそ成り立つ洒落の類いなど、原文だからこそ見つけられる面白さはあらゆる作品に共通しています。

ちなみに踊る人形は設定上AからZまで存在していると考えられますが、作中で言及される対応文字は限定的で、特にそれぞれのアルファベットに対応する人形に法則性はありません。したがって、AからZまでの全ての対応表はあくまで二次創作としての存在になっています。こういった踊る人形はフリーフォントとして利用可能なこともあるので、気になる方は調べてみると良いでしょう。

あるいはこれは、原文にある踊る人形の種類さえおさえておけば、それ以外の踊る人形は自由に解釈できるということでもあります。つまり、あなたが自分で好きな踊る人形のバリエーションを作ることもできるのです。

ちなみに踊る人形はアルファベットに対応した暗号だと述べましたが、実はひらがなに対応させた踊る人形も(二次創作として)存在しています。基本的に原文の翻訳ではアルファベットに対応させたものをそのまま使うことが多い一方、翻案の場合にはこのひらがな対応した踊る人形を使うのもアリかもしれません。

翻案とは?

良い機会なので、ここで翻訳と翻案の違いについて軽く触れておきましょう。

翻訳とは、基本的に原文に忠実に文章を訳していくことを意味します。今回の場合、踊る人形はアルファベット対応の暗号なので、翻訳であれば、日本語で読む文章にも関わらず劇中の人物たちは英語の暗号の話をすることになります。

一方翻案とは、翻訳を必ずしも伴うものではなく、ある物語などの筋やシナリオ、設定だけを取り入れて、登場人物や世界観に関連する名前を現代風にしたり、その物語に触れる人にとってよりなじみ深いものにしたりすることを意味します。

例えばシャーロック・ホームズとワトソンの名前を志屋禄(しやろく)と和戸村(わとそん)などと変えたり、あるいはもっと大胆に別の名字に変えてしまった上で、活動の場所をロンドンではなく東京や京都などにしてしまう、しかし物語の大筋は変えないというのが翻案です。これはあくまで一例であって、どこまでが翻訳でどこまでが翻案かはケースバイケースで色々な分け方や解釈が可能であることに注意してください。

翻訳するときにどこまで世界観を踏襲するか、どこまで原文通りに訳すかというのは難しい問題です。例えばキリスト教を知っていれば分かるような言い回しでも、日本人にとっては馴染みがなくそのまま訳すのは不親切ということもあります。しかし一方で、そのような表現をむしろ直訳する方が知らない世界観や表現に触れられるということで好まれる場合もあり、これは翻訳者の悩みどころであると同時に工夫しがいのある面白いところでもあるのです。

もっと古い小説にも暗号が?

この作品には、エドガー・アラン・ポォの『黄金虫』という作品との類似点が多いと指摘されています。この黄金虫(おうごんちゅう・こがねむし)はポォが小説家として獲得した賞金として最高額を得た作品でもあり、推理小説という枠組みにはないものの、その後のフィクションにおける暗号というものの扱い方の草分けとなったのでした。

もともとコナン・ドイルの描くシャーロック・ホームズの姿はポォが描いた初めての名探偵であるオーギュスト・デュパンの影響を強く受けていますが、この物語もまた、先行する先人であるポォの影響を強く受けた作品であると言うことができます。ポォの作品は19世紀にまで遡らねばならず、かなり古い英語で読みにくいところもありますが、もしもこの『踊る人形』が気に入ったなら『黄金虫』にもチャレンジしてみると良いかもしれません。

堂本秋次
実務翻訳者、プロマジシャン。英検1級、国連英検A級、TOEIC965を保有。大学時代は、ネイティブスピーカーの教授の指導のもと、言語学を専攻していた。医学、自然科学等を専門とする多芸多才な翻訳者。 詳しいプロフィール / 記事一覧

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