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【シャーロック・ホームズ】第5回 マスグレーヴ家の儀式(The Musgrave Ritual)とホームズのルーツ

      2019/05/22

原文でホームズに触れてみたい人、ホームズという作品に興味がある人に送る記事も、これでいよいよ5回目。次回が折り返しとなります。

今回の記事で扱う事件は、ホームズにとっても特別な事件。何せ、ホームズが一躍諮問探偵として有名になった、ある意味ではホームズの初めての事件なのです。

マスグレーヴ家の儀式 シャーロックホームズ傑作集

あらすじ

ある日、ホームズの部屋が足の踏み場も無いほどに汚くなりつつあることに気付いたワトソンは、そろそろ片付けた方が良いのではないか、と苦言を呈します。意外にもこれに素直に従うホームズでしたが、その中でワトソンが奇妙な箱に目を留めるのです。

それは、ワトソンと出会う前にホームズが付けていた事件記録でした。色々と見ていくうちに、特に気になるものを見つけるワトソン。ホームズは、部屋を片付けるのを引き延ばす代わりに、自身のルーツともなっている事件について語り始めます。その事件は、まだ彼が無名の探偵であった頃の話でした。

この事件はマスグレーヴ家に伝わる伝統的な儀式が絡む、その家に仕えていた執事の失踪を追うところから始まります。有能であったはずの執事が突如主人の秘密を探るような素振りを見せたことから、主人は激昂してその執事を解雇してしまいます。しかしその猶予期間の間に執事は姿を消してしまい……。

実はこの事件には、ある大きな謎が覆い被さるようにして投げかけられていたのでした。

原文のマスグレーヴ家の儀式

ホームズの短編は基本的にどれもそうだ、と言っても過言ではありませんが、それほど難しい文体や語彙は出てきません。ホームズばかりが事件の真相に近づいていき、読者(と登場人物たち)は置いてきぼりをくらう格好になってしまうところも変わりません。

この物語の特徴は、ほぼ全篇を通じてホームズの語りとなっているところにあります。つまり、ホームズの回想の語りとして物語が進んでいくのです。その上、ホームズの回想の中でホームズへの依頼人の回想も始まるため、物語の軸を捉えていないとこれに翻弄されてしまうかもしれません。

しかしこれは、ワトソンの立場に立ってホームズの語りを聞くことができるということでもあります。ワトソンと全く同じ立場でホームズの話に耳を傾けるという体験ができるこの作品は、こういった意味でも特別な作品であると言えるのです。

物語としての面白さ

ホームズの作品で、一見すると無意味か悪戯に思えるようなものが実は重要な意味を持っているということは決して珍しくありません。踊る人形などを読めば、それはなお一層明らかでしょう。この作品でも、一見するだけではただ伝承されてきただけのマスグレーヴ家の儀式が、実は重要な意味を持つものであったというストーリーになっています。執事が消えたのも、どうやらその儀式の本当の意味に気付いたためのようだ、ということになっています。

そういった意味では、この物語は謎解きの要素が強いと言えます。そのヒントは提示されており、正しく推理することができればホームズと同じ答えに辿り着くことができるでしょう。そしてそれと同時に、アドベンチャーや冒険としての面白さがある作品でもあります。

謎に挑むための作品としても、あるいはホームズの冒険譚を楽しむための作品としても、この作品は良い入り口とも言えるでしょうし、文字通りホームズの原点回帰にもなる作品であるとも言えるでしょう。

冒頭のホームズとワトソンのやりとり

ワトソンがホームズの奇行について語る機会は決して少なくありませんが、この作品の冒頭では、その奇行の描写が非常にありありとなされています。ホームズの日常や、普段はどういった振る舞いをしているのか、彼の部屋の様子はどのようなものかなど、よくドラマや映画で描かれるような『あの部屋』と彼の奇行が描写されているのです。それを垣間見ることのできる冒頭は、ファンにはたまらないシーンだとも言えるでしょう。

また、この冒頭のシーンでは、このマスグレーヴ家の儀式に関する事件に関連する様々な物品が出てきます。その物品は、どれを見てもただのがらくたにしか思えないようなものばかりですが、ホームズはそれを宝物のように保管しています。そして事実、その物品はどれも、マスグレーヴ家の事件を解決する上で重要な役目を担うものばかりでした。

多くの他の事件簿と異なり、この物語は『既に解決した事件』がホームズ自身の口から語られるというものになっています。そのため、ある意味では『事件は解決した』という結果が既に提示されているところから始まっているとも言えるでしょう。そうしたシナリオの中にあって、まず事件に関連した物品を登場させ、果たしてそのがらくたが事件についてどういった意味を持っていたのかということを想像させるのは、なかなかニクいやり方です。

そして同時に、この物語を読み終わった後、改めて冒頭から読み直してみると、今度はワトソンの立場でなく、ホームズの立場から物語を追うことができるという構造にもなっています。一度目はワトソンとして物語に傾聴し、全ての真相を理解した後はホームズとしてワトソンに事件の話をする視点になるのです。物語の視点が一度目と二度目で変わる、これもまた、他の物語には無い特別なポイントであると言えます。

話として現実的か?

具体的に言及するとネタバレになるため避けますが、この物語には非現実的なところがあると指摘する人も居ます。しかしもちろん、それはシャーロキアンにとってはむしろ謎が増えたと喜んでも良いところです。この物語はあくまでホームズが語ったもの。だとすれば、彼の判断で省略したり、少し事実を改編して伝えたりした部分があるのかもしれません。それを考えてみるのも面白いでしょう。

しかし敢えて言うなら、シャーロック・ホームズという作品はフィクションです。推理小説界におけるスーパーマンと言っても良いでしょう。スーパーマンの身体能力や、スーパーマンが救った街がごく短期間で機能回復していることなどをあげつらって『非現実的だ』とする人はそれほど多くないはずです。

シャーロキアンとして現実と比べたときの不合理を考えるのも良いですが、ときにはシャーロック・ホームズを単純なヒーローとして見て楽しむというのもシャーロック・ホームズの楽しみ方のひとつです。この作品はもしかすると、そのように楽しむ方が良いのかもしれません。その目を輝かせてその歴史を語るシャーロック・ホームズも、その物語に聴き入るようにして空想を膨らませたはずのジョン・ワトソンも、きっとそんな風にしてこの物語に触れていたに違いないからです。

堂本秋次
実務翻訳者、プロマジシャン。英検1級、国連英検A級、TOEIC965を保有。大学時代は、ネイティブスピーカーの教授の指導のもと、言語学を専攻していた。医学、自然科学等を専門とする多芸多才な翻訳者。 詳しいプロフィール / 記事一覧

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