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【ラブクラフトを原文で読む】第1回 イントロダクション

      2019/03/10

英語を勉強していて、英語の本を原文で読んでみたいということは誰にでもあるでしょう。しかしそういうとき、例えばいきなりハリーポッターのような長編小説を読むと心が折れてしまいそう、というように感じることもきっと珍しくはないはずです。そんなあなたに、短編も読める小説家としてラブクラフトをオススメします。

Howard Phillips Lovecraft

ラブクラフトとクトゥルフ神話

ラブクラフト(H. P. ラブクラフト)は、いわゆる『クトゥルフ神話』を生み出した作家です。クトゥルフ神話は様々なゲームや物語の題材となっており、例えばネクロノミコンやニャルラトテップ(あるいはニャルラトホテプなど)、クトゥルフという存在の名前を聞いたことがあるという人も多いのではないでしょうか。これらは全て、クトゥルフ神話の一部に属する存在なのです。

『ネクロノミコン』の物語 新訳クトゥルー神話コレクション2 (星海社FICTIONS)

しかし、ラブクラフトがクトゥルフ神話を作り上げたのではありません。クトゥルフ神話とは、ラブクラフトが生み出したものではありながら、作り上げたものではないのです。どういうことでしょうか。

クトゥルフ神話とは?

実はクトゥルフ神話とは、ラブクラフトやラブクラフトに影響を受けた作家が生み出した作品に共通する世界観のことなのです。この世界は仮初めの平和を享受しているに過ぎず、その崩壊はすぐそこに迫っている。それに気付く者と気付かない者が居るだけだ——。そういった、少しずつ這い寄るような狂気と恐怖は、多くのクトゥルフ作品に根ざした共通の価値観と世界観であると言えるでしょう。

もちろん、ラブクラフト自身が具体的に設定として認めた『神々の繋がり』や『序列』、『特定のアーティファクトの出自』などもあります。しかしクトゥルフ神話におけるラブクラフトの本懐とは、『彼が生み出した世界や設定の流布』ではなく、『この世界そのものを脅かしかねない恐怖を、フィクションの枠を超えて伝えること』でした。彼は複数のフィクションや作家仲間と共に共通の価値観を演出し、物語の中でそれとなく匂わせることで、読者が『自分でその繋がりを考えて気付き、恐怖する』ことを期待したのです。

しかし後年、熱心な読者によって、『クトゥルフ神話』は解体されるという憂き目をみてしまいました。それぞれの神々がどういう存在であって、そこにどういう信仰があるのかといったことが、『徹底解説』されてしまったのです。特に海外においては、『どんな恐怖に対しても神という存在により救われる』という価値観がまず前提としてあって、しかしその神に悪意があったり、あるいはその神だけでは説明できない現象や事象が存在していることを作品の中で提示することで、クトゥルフ神話は恐怖を現実のものとする媒体となっていたと言うことができます。そんな中、クトゥルフ神話が解体されてしまったことはある意味でクトゥルフ神話の崩壊でもありました。

しかし、クトゥルフ神話はあくまで様々な作家や作品に共通する世界観であり、ある時点での解剖が次の時代における解剖結果と一致するとも限りません。つまり、クトゥルフ神話の世界観を根底に置いて創造する作家が失われない限り、クトゥルフ神話は進化を繰り返し、新たな解釈や新たな崇拝対象、忌避対象が生まれていくことになるのです。

ラブクラフト作品の味わい

クトゥルフ神話がある程度解体されてしまったことは間違いなく、それは喩えるなら『ゲームの攻略本を最初に読んでしまう』ような勿体なさがあります。もちろん、『ゲームを楽しむために攻略本を先に全て読む』という楽しみ方もあるので、ここは一長一短、それぞれの好みによるところも大きいでしょう。しかし、そのクトゥルフ神話というゲームの攻略本はとても遠大です。全てを理解してから作品を読み込むには、相当の時間が掛かるはずです。

そうしたことも踏まえ、個人的には『何の背景知識もない状態』でクトゥルフ神話を読むことをオススメします。昨今ではTRPGなどのゲームの影響もあり、『クトゥルフ神話徹底解説』といったような本も決して珍しくありませんが、そうしたものに目を通す前に、『何となくクトゥルフという名前は知っている』だとか、『こういう存在が居ることは知っている』といったような曖昧な知識のまま、敢えて原典を読んでいくのが良いでしょう。そうすることで、自ずと色々な作品に共通する描写や設定、何度も登場する何らかのアイテムといったものが見えてきて、物語が連鎖的に繋がっていく快感を得られるはずです。

そしてラブクラフト本人の作品は、特に本人が意識しながら書いた作品群ということもあり、それぞれの作品の繋がりや年代は非常に色濃いものになっています。気になった作品から読んでいくと、いつの間にか大いなる神話性をそこに見出すことができるかもしれません。まさにどの作品から読んでもOKの、門戸が広く開かれた作家であると言えるのです。

ラブクラフト作品は読みにくい?

では、原文のラブクラフト作品の英語の難易度はどれくらいなのでしょうか。実はこの難易度、作品によってピンキリなのです。

例えばラブクラフト作品の記念碑的傑作、『クトゥルフの呼び声(Call of Cthulhu)』を紐解いてみると、その文章は実に難解で、途中で何度も何を読んでいるのか分からなくなるでしょう。それは日本人の作品で言えば、ドグラ・マグラ(夢野久作)や黒死館殺人事件(小栗虫太郎)の文体に近く、自分が何を読まされているのか不安になりながら、それでも何となく最後まで読み進め、最後に残るのは独特の読後感、そして要約不能の物語の全貌——クトゥルフの呼び声がそんな作品であることは間違いありません。

The Call of Cthulhu and Other Weird Stories (Penguin Modern Classics)

しかし一方で、例えば『アウトサイダー』のように超短編小説として非常に読みやすく構成が綺麗で、文章も必要以上に回りくどくないような作品もあります。『宇宙からの色』も短編小説として人気のある作品で映画化されたこともあり、これも比較的読みやすい部類に入ります。

全体を通して見ると、単語レベルが必ずしも高いわけではありませんが、省略や倒置などが縦横無尽に駆使されているために、文法レベルはやや高めに感じられる作品も見られます。その上でラブクラフトの独特な思想を前提とした表現だったり、あるいは既に『正気を失っている』人間が書いた手記(という内容の作品)であったりということで、理解に苦しむ場面もあるかもしれません。更には、訛りを表現するためにスペリングが弄られている場面もあり、こうした表現に面を喰らうこともあるでしょう。

ただ、作品さえ選べば読みやすく、文法上で学べることも多くある作品であることは間違いありません。解読が困難な文章に当たったら、納得がいくまで色々と解釈を考えることによって、難文を読破するためのエクササイズにもなるでしょう。

ラブクラフト作品の翻訳

ラブクラフト作品の多くは、恐怖体験をした人間の手記や、その人間の体験談などのようにして語られています。つまり翻訳をするということは、その体験を後世に伝える役割を担っていると考えることもできるでしょう。

しかしラブクラフト作品の真骨頂や文学性は、その『読みにくさ=奇文性』にあると言っても過言ではありません。そのため、多くの翻訳はその冗長性を活かすような翻訳になっていることが多く、読み難いと感じることもあるはずです。また一方で、読みやすさを重要と考えて、表現を省略したり、文章の構成を変えたりすることにより、誰にとっても読みやすい作品にしているパターンもあります。どちらの方がラブクラフトをより楽しめるかと言えば、それは読者の好みによるところが大きそうです。

つまり、ラブクラフト作品は翻訳者の数だけ存在すると言っても過言ではありません。その翻訳者がラブクラフト作品の文学性に寄せた翻訳をしたか、それとも体験を後世に伝えるための『分かりやすさ』を重視した翻訳をしたかにより、作品の色は大きく変わるのです。

もしも知っているラブクラフト作品に複数の翻訳があるようであれば、それを読み比べてみるのも良いでしょう。もしかするとその文脈と行間にこそ、怖ろしい存在が身を潜めているのかもしれません。”神は細部に宿る”ものですからね。

堂本秋次の書斎

●ラブクラフトの翻訳を行っている執筆者・堂本氏の著作一覧
https://www.amazon.co.jp/堂本秋次/e/B073XF4FFX/ref=dp_byline_cont_ebooks_2
堂本秋次
実務翻訳者、プロマジシャン。英検1級、国連英検A級、TOEIC965を保有。大学時代は、ネイティブスピーカーの教授の指導のもと、言語学を専攻していた。医学、自然科学等を専門とする多芸多才な翻訳者。 詳しいプロフィール / 記事一覧

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